函館ラ・サールの思い出集

2月1日に卒業式を迎え、別れを惜しみながら寮を巣立っていった高校46期生の一部の生徒たちが私立大学受験・二次対策特別講座受講のために寮に残っていたのですが、最後の生徒も2月14日に退寮したとのこと。

今までは函館で、そして今は我が家で、ご子息の次なる進路への挑戦を見守っておられる卒業生の保護者の方々より、それぞれの函ラ・ストーリーを寄せていただきました。


■函館ストーリー [落合信一]

中一のご父兄の方は心が揺らいだ一年だったと思いますが、すんでみればまあなんとかなった六年間でした。 
ここでとっておきのエピソードを!

中一の冬、わかさぎ釣りに連れて行ってもらったのが楽しかったのか、子供たちだけで川汲温泉側へ釣りに行った時の事です。
息子の氷にひびが入り、友達が助けようとして近づいたため、息子は川の中へ!
近くの民家に飛び込み裸のままタクシーを呼んでもらって寮へ戻ったとのことでした。
話半分に聞いていたのですが、翌年函館に言った際、乗ったタクシーの運転手さんから「僕、あの時の川に落ちた子だろう」と言われ、ちょっとビビリました。
熊に襲われ、持っていた食料を投げて逃げてきたと言う話ももしかしたら…。


■人生の「学び」の刻を与えられた6年間 [早川敦子]

6年間サッカーに燃えた息子でした。
部活にエネルギーを注ぐあまり、自習時間が就寝タイムだったらしいことを、学期ごとに学校から送られてくる青い封筒の中身が物語っていました!
そこには目をつぶって、やはりかけがえのない人生の一時期を頂きました。

ボールが消火器に命中、寮の廊下は泡だらけ、という騒動を引き起こしたり、試合に負けた悔しさでロッカーを蹴り破るという「反」社会的行為でお咎めを受けたことも…。

でも、そのような「学び」の機会を与えられたことが、思春期の関門を通過する中で本当に貴重な経験でした。

先生方、仲間たち、大切な思い出、全て宝物です。
有難うございました。

 
■函館ラ・サールの思い出 [柴田眞理]

あっという間の6年間で、息子は函館生活も終わり、今は大学受験の真っ最中です。
函館で養った気力と体力でなんとか乗り切って欲しいものですが、決定的な知力不足があり、厳しい結果となりそうですが…

6年前に送り出した息子がいっぱしの大人になって帰ってきて、狭い部屋がますます狭く感じる今日この頃です。

ほんの数日前までランドセルを背負って元気に玄関を出て行った息子が、北の地でひとり親元を離れ、寮生活をする。
入寮日当日は一緒にホテルを出た息子が、夕方には一緒にはいない…。
入学式当日も、学校の玄関で会った息子のワイシャツのボタンは掛け違えていて、まだまだ幼い子どもだったのに…。

今考えれば子どもから大人へと変る時期を、彼はラ・サール学園の先生や寮の先生方、寮母さんに見守られ、また、いろんな仲間と成長し、かけがえのない6年間を過ごさせていただきました。

息子だけではありません。母である私も息子を通じて、魅力的なお父様やお母様方に出会うことができ、本当に感謝しています。

また、今の子どもは人とかかわることが苦手だと言われています。
ですが人は一人では生きてはいけません。
人とかかわることで成長し、喜びも悲しみも感じることが出来ます。
彼らは寮、学校、部活とたくさんの人とかかわり、切磋琢磨し、時には争い、喜び、辛さを分かち合いました。
人間力を学び、どんな場合でも生きて行けるすばらしい経験をしてきたと思っています。

息子を送り出し、涙した日々はもう昔です。
成長した息子を見て相殺!苦労した分、必ず良いことがあると信じています。

最後になりますが、関東支部の皆様には大変お世話になりました。
これからも末永くよろしくお願いします。


■6年間はあっという間 [朝井ひろみ]

息子がまだ中学生だった時、高校生のお母さまから「いいわね、まだ中学で…。」と言われました。
その方が何を言っているのかよくわかりませんでしたが、高校に進み、卒業を目前に控え、その言葉の持つ意味がひしひしとよくわかるようになりました。

中・高6年間は本当にあっという間です。
残念ながら我家はもう息子はいないので、ひとまず函ラのPTA・母の会は引退となりますが、今度は「ジジ・ババの会?」で、又皆さんとお会いしたいな…。

函館ラ・サール学園PTA関東支部の皆様、大変お世話になりました。
この場をお借りしお礼申し上げます。
また、送る会では本当に楽しいひと時を過ごさせていただき、ありがとうございました。


■9年間の感謝 [山本恭子]

中学1期生の長男の学校説明会に参加して、井上先生のお話に圧倒された日から始まった、10年に渡る函館ラ・サール中心の生活が、4期生の次男の卒業をもって終了し、寂寞感が広がっています。
また、それぞれ6年間の寮生活を全うした息子たちにはもう敵わないなぁ…という眩しさも感じています。(本人には決して言いませんが…)

高校生しかいなかった学校・寮に親元を離れてポンと入った1期生。
ちょこまかといたずらをして、先生方や高校生から小学7年生とか宇宙人と呼ばれたこの12歳の少年たちの七転八倒は、語るにつくせぬものがありました。

当時の関東支部は高校全学年で14名、中学1年32名といういびつな構成でしたが、不安を抱えてオロオロする中1の親達を、高校生のご父兄が本当によくフォローしてくださって(今になって考えれば、高校生のご父兄も高校からご子息を手放したわけで、中1の親とほとんど同じ不安を抱えていらしたにも関わらず…)、温かいラ・サール・ファミリー・スピリットを心から感じ取ることができました。

できるだけPTAに参加しようと努めたのは、この時にいただいた温情とラ・サール・ファミリー・スピリットを、後に続く皆様にも伝えていかなければ…という思いからでした。

あまりお役に立てませんでしたが、「12歳の息子との別れ」を経験した親にしかわからない心情を共有しているという親近感から、学年を超えた交流が広がり、充分に楽しませていただきました。

母の目には【紅顔の美少年?】だったはずの息子たちは、すっかり【厚顔の仏頂面…】になりましたが、≪かわいい子には旅をさせよう!≫と送り出した親の思いは結実し、親には言わない、親にはわからない様々な出来事や葛藤が肥やしとなって、出来は悪いながらも人間的に逞しくなり、いわゆる≪生きる力≫も備わったようです。

今は学校、寮、函館という街、そして関わってくださった全ての方々へ、息子並びに、この愚かな親を育てていただいて有難うございましたという感謝の気持ちでいっぱいです。

現役のご父兄はいろいろと心配事も多いと思いますが、遠くの寮に送り出す決心をした日を思い出して、実が熟すのを、じっくり楽しみに待たれるのが良いのでは…と思います。
本当にお世話になりました。


[終わりに]

卒業生の保護者の皆様、あらゆる面から関東支部を支えていただき、ありがとうございました。
これからも、ご意見ご指導等よろしくお願いします。

ご子息様とご家族様のますますのご盛栄をお祈りしています。